39 なんとなく について

みなさん、長年の月日が経った中、いかがお過ごしでしょうか。

大学生になってもう絶対書くことのないだろうと思っていたこのブログ、なんとなくまたなんか書こうかなと思ってしまったので、たまーになんか書くかもです、て言っても大して書くことないけど。

もう大学生活が1年半過ぎました。感想としましては、「うん、大学生活」って感じです。高校生の頃からやっているバンドも、大学に入ってから始めたことも、今やっている長期インターンもどれもそれなりに忙しくやらせてもらってます。

なんだろう、久々にこれを書こうとすると何にもかけないなってなってます。やっぱり浪人時代にこれが書けていたのは、途中全然書いてないけど、あの頃の切迫された何かがあったからなのでしょうか、今の私には何もわからないです。

こうやって書いていると、やはり自分という存在が昔よりはどこか変化してしまったんじゃないかなという感じがします。キーボードをフリックする時のテンションがなんか違う。と言うことは、こんなものを書く時のテンションが変わってしまっているということは、やはり私はどこか変わってしまったのかもしれないと思います。そういえばこれ書く時の一人称が僕から私になってる。これは大きな変化ですね。

大学で特に本当に心に残る、それこそ宅浪したあの一年のような大きな出来事があったわけじゃないのに、いやまあ色々酸いも甘いもありましたけど、私はどこか変わってしまった。高校の頃はしないと思っていた物事もするようになったし、多分高校の頃の自分が見たらぶん殴ってしまうような行動をしていることもあるし、思想を持っていることもある気がします。まあ根本は変わってないんですけどね、っていうけどそもそも根本って何でしょうかね。私の中で本当に嫌なものは高校時代から変わっていないからきっとそれを嫌うっていうのが根本なんですかね、いやでもそんな消極的なものなのか?とか考えちゃいますね。

高校時代の私の純情可憐、大学生になった今の私の純情可憐。どっちが正しいのか私には何もわからないです。まあ自分の中では純情可憐であることには変わらないからそれはそれでいいのかもしれないですけど。

最近LUNA SEAのライブを見に行ったとき、普通に最後の曲で泣いてしまいました。自分は変わっているかもしれない。でも、私の目の前で演奏しているLUNA SEAは何ら変わってないし、LUNA SEAを見ている時の自分は、あの頃の、金髪で髪を伸ばしどこか無敵だった頃の自分と何ら変わってない。そう思うと本当に何だか泣けてきました。

大学生になると色々高校の頃よりわかりました。自分の本当に手に入れたいと思った何かが手に入らない悲しさ、自分が求めてもいない高評価、他者の自分を大きく見せる行為の交わし方、これに関してはそれと同時に更なる怒り、色々なものを手に入れました。もうそろそろ21歳2年生です。20歳の間は結局私は世界を何一つ変えることができなかった。わかんない何かを変えたのかもしれないけど自分の中では気づいてないし気づきたくもないです。まあ多分この類の感情は21歳になっても、何歳になってもあるんでしょうね。この世界へのどこか満足しないこの感情。1/3の純情な感情

まあとりあえず今日はこんなところですかね。SEOとかちょっと齧ったのでブログ的にはこれダメだなとかめちゃくちゃありますがそんなん知らん!だって誰も見てないから!てな感じです。とりあえずこの世の全男、いや、全人類は銀杏BOYZの「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」聞いた方がいいですよ。

彼女は僕の知らないうるさい音楽に夢中さ、

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